子育てママ
広瀬 美由紀さん
■ 家族構成を教えて下さい。
主人と娘(2歳)、ジャックラッセルテリア2匹です。
■初めて川島にいらしたのはいつだったのですか?
その時のことが今でも原風景になっているのですが、2002年の紅葉の時期で、ちょうど夕暮れに赤く染まった川島でした。国道から入ったらこういう世界があるんだな、って思いました。
リゾートでは無い里山を初めて知って、ここに住むのもありなんだなって思いました。
■実際に移住されたのはいつだったのですか?
主人は2003年で、私は2006年です。
当時私は学生だったので、主人が一足先に移住し、私はしばらく高速バスで週末等に通っていました。
当初は古い公民館をお借りして、自分達でお風呂を作ったり、窓の一部をペアガラスに入れ替えたり、壁を塗り替えたり...。DIYをして、住みやすい環境に整えていきました。
4年間川島に通って、3月の上旬に大学を卒業して、3月26日に大きな荷物を持って国家試験を受験し、試験終了と同時に高速バスに乗って辰野へ向かいました。
翌27日に入籍し、4月に新卒で入社式というスケジュールで、移住したことを楽しむゆとりは無いまま、社会人生活に馴染むのが精一杯でしたね。主婦業は完全に主人にお任せでした。
■川島にお家を建てられましたが、この場所を選ばれた理由は?
私が移住して2年目には、この耕地(※1)にずっと住みたいと思いました。
お隣さんをはじめ、耕地の皆さんがとても優しく、地区の行事や仕事等、都会とは違う習慣にも慣れ、自分達がここでやって行かれる自信が持てたからです。
我が家のある耕地には23世帯しか住んでなくて、もともと2つの名字しか無いところなので、大きなファミリーの中に入れてもらっている、というスタンスが大きいです。
家を建てる時は、ご近所の皆さんが地主さんとの間に入って調整して下さったり、水道をひく際は、「うちの畑の下、通せば良いよ」って、一筆とったりする事無く、畑掘らせて貰って、水道管通しました。
■お嬢さんのことをお聞かせください。お名前の由来は?
東山魁夷の「緑響く」という絵のタイトルからつけました。
リビングからの景色がこの絵に似ているので、将来川島を離れることになっても、故郷の原風景を思い出せるように。
■お嬢さんには「じじ」「ばば」がいっぱいいるって?
川島内に合わせて30人くらいいるかな(笑)。
我が家のある耕地の「じじ」「ばば」は勿論、〈ふるさと川島未来協議会〉の活動をはじめて、川島のあちこちに「じじ」「ばば」が増えましたね。
娘が風邪をひいたと、ご近所のAさんに話すと、その日のうちに村中に広まって、Bさんが野菜を持ってお見舞いに来てくれる、っていう感じですね。川島の宝だと、いつも大切にして貰っています。
そして娘には「にーに」と「ねーね」も沢山いますよ。
昨年ママ達で立ち上げた「木の子クラブ」では、小学生と未就学児が一緒に遊べる活動をはじめました。
川島小学校の生徒さん達は、普段から学年は関係無く接しているので、自分より小さい子の面倒をよく見てくれます。娘ともいつも遊んでくれるので、そんな「にーに」と「ねーね」が大好きなんですよ。
■親御さんと離れて子育てをするのは大変なことだと思いますが、その点はいかがですか?
そうですね、確かに子供が小さい時は近くに親がいないのは大変でした。
主人は仕事で育児まで手伝えない状況で、子供がぐずると「今日はご飯作れてない!」なんてこともしばしば。そんな時に、移住仲間が玄関にそっとご飯を置いて行ってくれたり、熱を出して買い物に行けない時は代わりに買って来てくれたりとか。とても素敵なママさん達に恵まれて有り難いです。
自分も他のママさんが困っていたら助けたいと思っています。
■最後に移住を希望されている方にメッセージをお願いします。
田舎は昔から隣近所で助け合って暮らして来ました。なので繋がりが深いんです。そこに受け入れてもらうには、自分達から心を開いて積極的に関わっていく姿勢が必要だと思います。
その取っ掛かりとして散歩は結構大事ですね。自分を知ってもらうには、自分から外に出て、挨拶をして、それから天気の話をして、自己紹介をする。そんなことから会話が広がり、時にお野菜を頂いたり。私は犬の散歩のおかげで顔見知りが増えましたね。慣習等わからないことは先輩移住者やお隣さんに素直に聞くことが大切だと思います。
※1 耕地・・町内会のような単位、意味。